未完のみかん

みかんの成長日記

テート展レポ

んにちは、みかんです🍊

 

先日、ふと思い立って有給を取り、「テート展 光 -ターナー印象派から現代へ」に行ってきました!もうすぐ終了してしまうのですが、備忘録のためにレポを残しておこうと思います✍️

 

芸術家の目指すものって?

恥ずかしながら今まで芸術に触れたことがなく、芸術家はなぜ芸術家になったのだろう?とずっと(遠巻きから)不思議に思っていました。今回、テート展は「光」の解釈にスポットを当てた展示になっていましたが、その中で「芸術をとおして、世界がどのように形作られているか解明・表現したかったのかな」と感じました。私は科学を(少なくとも手順の正当性の観点では)信じていますがそれも絶対の根拠はなく、またそもそも印象派の活動が盛んだった時代はまだ特殊相対性理論も出てきていない頃ですよね。そんな中で、何が「光」の本質なのかを考えていた人たちなのだなと。そのような学問として科学以外にも哲学がありますが、芸術家たちは言語以外のところに本質があると考えていたのでしょうか。

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宗教と芸術

って密接な関係ですよね(多分)。↑を踏まえると、宗教も世界の仕組みを説く側面があるので、道理にかなっていますね。

というわけでこちらの絵を見ていたのですが、これはキリストが生まれる時にそれに怯えたヘロデ大王が起こした幼児虐殺という惨劇を表した絵だそうです。

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これまで私は、生きていることそのものに価値があるのであって、名誉ある死などないと思っていました。今もそれはあまり変わらないのですが、私と違う理の中で生きているとすると、この絵の中の子どもたちが殉教して白く輝いていることも、理解できるなと感じました。科学も死後の世界がないことは(悪魔の証明みたいですが)示せませんからね。

 

雑感

絵をみていると、芸術家の人たちは知覚を研ぎ澄ませて世界の性質を感じているような気がします。最近の私の関心のひとつが「人間の思考は言語のみか」なのですが、知覚の情報をすべて言語化できるのですかね・・・言語化できない部分はあるのではと思わされます。

今回は学びが多くて、もっと美術館を巡ろうと思うきっかけになりました🧑‍🎨では、最後のご挨拶にもう1枚写真を載せておきますね🕯️🫧

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